ウランバートルの空に(22)

モンゴル雑感

4月27日

東京に戻って、一週間経ちました。湿度のせいなのか、体が少し重く感じられます。思い出してみれば、ウランバートルはほとんど毎日晴天。4月に入ってからは少し雲が漂っていましたが、青い空ばかりを見て暮らしていました。室内はいつも23,24度、湿度20%以下という状況で、初めの3ヶ月はどうなるかと思ったけど、いつしかそれにも慣れて、顔のクリームがあまり必要なくなりました。

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それにしても、乳製品と肉は本当によく食べました。特に肉の脂身は美味しいです。今はオーガニックが大流行りで、ヨーグルトやウズラ卵のマヨネーズは、早くも懐かしい味であります。

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建物はまだガラス張りのものは珍しく、あまりありません。確かに古いけど外装は明るく、中もとても清潔。特にレストランでも大学でもアパートの階段、病院の廊下などどこへ行っても「姿見鏡」があるのには、感心しました。おしゃれです。でも着る服はなぜかモノトーンとか黒が好きで、おそらくそれはロシアの影響ですね。人の目力、声の野太さ、骨太の肉付きの良い身体は、気候風土の影響が大きいと私は思いますが、モンゴルの人は風格があり、太く短い一生を送られています。

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ウランバートルでは公立学校でも半官半民というか、経営が半分公立、半分私立の学校があったり、欧米式の高額学費のインターナショナルスクールもあったり玉石混交です。一番有名なS私立学校は今年政府からなんと受験を禁止され、どうやって学生を選ぶかS学校は頭を悩ませているそうです。くじ引きという手もありますが、おそらく「お金次第」ということになるのではないかと言われています。

帰る前日、学校創設者であるNさんが妹と一緒にご挨拶に来てくださいました。その時に初めてこの学校のことをいろいろ伺うことができました。N学校には両親と死別している子供が現在4人おり、その子たちの学費は無料にしているそうです。校長先生の親戚関係は20数名いて、それも学費免除。先生たちの子供(孫)も一人は完全に無料ですし、地方から来ている学生も無料。

まだまだ子供の数に比べて学校が足りないから、学校もいろいろと大変ですね。

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ウランバートルの空に(21)

最後の授業

4月15日

今日から4学期開始。でもなぜか新時間割が間に合わなかったので、3学期の時間割のまま、授業開始。今日から来ると聞いていた新しいモンゴル人の日本語の先生は都合で来られず、私は深呼吸して教室に向かいました。

一番初めは7年生。

普通に授業をして最後に挨拶をしようと思っていたら、一緒に入ったモンゴル人のN先生が「大所帯でうるさいんだよね。皆が静かに聞くようにしないとダメだよ!」と、私が帰国する旨を生徒にすぐ伝えてしまいました。今日は授業の最初に、昨年9月の一番初めに授業で教えた「365日の紙飛行機」を歌ってもらう予定だったのだけど、もうすすり泣きが聞こえてきてしまって、私自身も歌いながら崩れてしまいました。

このクラスは日本語0の生徒と以前から学んでいた子が半々でスタートし、教科書を12月頃まで持っていない子も多かったので、大変苦労した思い入れの強いクラス。「バカな子ほど可愛い」ではないけれど、自分も手探り状態で、今までにない大声を出したりして毎回汗をかいたけど、お蔭でお互いの絆が深くなったなあと感じながら別れました。

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次は6年生。まとまりのいいクラスで、本当に私が毎回授業を楽しませてもらったクラス。今日はまだ学校に来ていなかった生徒もいて、お別れができずちょっと残念でしたが、きっとまた会おうねと再会を誓いあいました。

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最後に8年生。

こちらは日本語がよく通じるので普通にお別れのいきさつを話していたけど「先生、ショックですー」と言われて、こちらも言葉が出ませんでした。新入生たちも顔をポカンとしていて、悪いなあと感じましたが、フェイスブックでグループを作っているので大丈夫と最後は笑って終わりにしました。

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次は旦那のクラス。

12年生は日本留学志望が二人。今後の進路が気になりますが、一人一人に将来のことについてよく考えるよう諭し笑顔でエールを送りました。

11年生には、前もって用意しておいた「お別れのメッセージ」文を配布して読み上げ、僅か半年余りでみんなの勉強を見てあげられなくなったことに対して深々と頭を下げて謝罪。その後一人一人に今後についてのアドバイスや意見を伝えました。突然のことで、困惑顔の生徒も何人かいましたが、最後に「本気で日本留学を考えている人は」と聞くと3人ほど手が上がりました。「では、何年か後、東京で会おう」と、こちらも半ば無理やり笑顔を作って記念撮影。

 

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モンゴルでの生活を支えてくれた生徒たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

みんな、ありがとう〜!

ウランバートルの空に(20)

意外な展開

4月11日

今朝10時頃、突然同僚の先生から電話があり「今日抜糸だそうです」とのことで、あわてて病院に行きました。もう勝手知ったる外科病院。受付なんかしないで、迷路のような建物の中をスイスイと抜けていつもの6階へ。すると「抜糸は一階よ」といわれ、ようやくその部屋に到着。付き添いは一人しか入っちゃダメということなので仕方なく私は廊下へ出たちょうどその時、一番初めにお世話になった医者にばったりお会いしました。強引にその抜糸している部屋に一緒に入ってもらい診てもらいました。「退院後病院に来たか?」と聞かれ、もちろん「NO」。いくつか腕や手の動かし方を教えてくれるのですが、肝心の旦那はピンセットでおばあさん看護師?が糸を抜く作業中だったし、重力の重みで腕が下に下がると痛いようで、それどころではありませんでした。

 

実は一昨日、私は校長先生の部屋に呼ばれて「学校の幹部会議で、アキヤのこれからのことをどうするか皆で相談しました。この国では満足のいくリハビリをおそらく受けることができない。もしリハビリを受けるとしても、日本語か英語の喋れる先生と私もいつも彼に同行しなければならないし、4学期は授業だけでなくイベントも多いからとても大変である。体力的に共倒れになりかねないし、外国人の先生ということで私たちには責任もある。今回は非常に残念だけど、二人とも帰国して彼は治療に専念したほうがいいのではないか、ということになったんだ」と言われました。

 

ちょうど旦那と「これからどうするんだろうねえ〜、まだ授業できないしねえ」と話していたところだったので、私は即座にその判断はいいことだと確信し「彼を説得します」と言って、家に帰ってすぐそのことを告げました。契約はまだ半ばではあるけど、健康第一。身体をリセットすることが今は一番大事なことなんだから帰国しようと決め、校長にもすぐ伝えました。

 

それで昨日は航空券を買いに行き、今日は家で荷物整理をしました。荷物はできるだけ軽くして帰りたいので、送る荷物を増やし、明日は郵便局へ行く予定です。帰国後の病院の算段など頭が忙しく回っていたためか2 日間寝不足でしたが、今日の午後、帰ってきて「出前一丁醤油味」をお昼に作って食べたら、いい気持ちでそのまま寝入ってしまったようです。元気になったところで旦那を散髪に連れて行き、その足で彼の大好きなコーヒーショップに行くと、なんとアイスコーヒーが500Tugも値上げ!

隣のお店の装いは、もうすっかり春。そして世の中はバーゲン・シーズンに突入〜。

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ウランバートルの空に(19)

ドタバタ第3学期終了

4月5日

一昨日、夫は無事退院しました。

入院は結局9日間に及びましたが今は自宅静養中です。

入院中は特に夜、一人になると不安が募り、彼はあまり眠れなかったようです。昼間もノックなしに入れ替わり立ち代り人が来たそうで、新しく入った隣のベッドの方の友人だったそうですが、あまり静かな環境とはいえませんでした。

退院する前日、彼は夢と現実が混ざって意識が朦朧とし、おかしなことを口走っていたので、私はまた夜、一泊しなければなりませんでした。

 

夜の10時半と朝の5時半にパッと明かりがついてナースが注射をしに現れます。今の時期は実習生を受け入れているそうで、道理で手荒な看護だとは思いましたが「立て!」「尻出せ!」的な、牛か馬にするような扱いには、恐怖を感じるのもわかるような気が・・・。それとも日本人がやさしすぎるのかな?

 

帰宅してすぐ彼に足湯をしたら、さっと血色が良くなり、左手の甲の点滴の跡がみるみるうちに、きれいになっていきました。

[Home sweet Home]

静かないつものベッドで落ち着いて眠れるようになり、食欲も出てきて、快方に向かっています。一日おきに校医の女医さんが我が家に来てガーゼ交換をしてくれることになり、病院にいちいち行かずに済むので、大変ありがたいことです。消毒薬やガーゼは病院で買いましたが、カルシウムやビタミンは、もうあまり飲む必要はないそうです。ですので今はモンゴルで骨折した時にいいと言われている植物エキスだけ飲んでいます。ベビーパウダーは洗髪代わりに大活躍。写真左は病院のベッドに付けられた札。入院日3月25日と担当医師の名前が書かれています。医師の名前はモンゴル語で「鷲」の意味だそうで入院中「ワシさん」と呼んでいました。右は現在家で使っている薬一式です。

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今日は3学期最後の日。

私は結局、木曜日金曜日とも、お休みさせていただくことになりました。のんびり家で音楽を聴いたりして過ごしたので、身体は相当楽になりました。

午後、同僚のモンゴル人の先生方が彼の好きなアイスコーヒーとケーキを持って、お見舞いにきてくださいました。すでに今日は自主欠席している学生も多かったとか、私の担当の7年生が何かやらかして大目玉だったとかで、笑いました。また、「ワシさん」は、アジアで5番目と評される腕の持ち主ということも教えてくださいました。

 

私は春休み中は学校に行かずに自宅で出席、成績、シラバスのまとめをして来学期の授業準備をしてよいことになったそうです。パソコンやら教科書も先生方に学校から運んでいただいたので大助かり。しばらく彼の看護をしながらのんびり家で暮らせるという寛大な待遇で本当にありがたいと思いました。

春は毎年、必ず日本人の先生の誰かが肺炎になったり怪我をされるとのこと。今年は夫でしたが、私も気をつけて4学期を迎えられるようにしたいと思います。

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ウランバートルの空に(18)

手術無事修了

3月27日

昨日水曜日に旦那は肩の手術をしました。

先週金曜日に外科専門の病院で検査をして問題なかったので、火曜日8時に即入院。当日朝10時からの手術は予想以上に時間がかかり、病室に戻ったのは13時半。麻酔から覚めつつあるけど痛がっていて、かわいそうでした。

 

手術は無事成功し、レントゲン写真をみる限り、パーフェクトな印象。事前の医師の説明では「どんなにCTを見ても実際切ってみないとわからない。場合によっては年齢のこともあるので、人工骨を入れても構わないか」と言われていました。60過ぎの執刀医は肩・腕の専門医で、経験のあるとても有名な先生だと何人からも聞かされていましたので「お任せします」と答えましたが、少し手こずる手術になることは予想されていたそうです。モンゴルでは患者や家族に本当のことを事前に心配させないため話さない習慣だということを後で聞きました。

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夜、校長先生から突然の電話で今晩は同じ部屋で過ごすようにと言われました。何も準備をしてこなかったし、私は一体どこで寝たらいいのかにゃあと思いつつ、彼と同じ狭いベッドに横になってあれこれ工夫をしていると、座薬を入れて寝ていた旦那が夜9時頃、目を覚ましました。トイレに行きたいと言うのですが、足がふらふらしています。おまけに上の方に固定された点滴が、終わっても誰も来ず、動けません。ナースコールもないので、仕方なく点滴の袋だけをベッドの上に乗って外し、管をつけたままトイレ介助をしました。校長先生のアドバイスは結果的に大変ありがたいものであったことがよくわかりました。

 

外の廊下では夜になればなるほど大勢の患者や家族がやってきてベッドや布団持参で、いびきをかいて寝ていました。なので、夜中ちょっと部屋の外に出るのには勇気がいりました。こちらでは看護師さんに自ら言わないと何もしてくれないということも、後で聞いてわかりました。(ナースコールは普通の病院ではあるそうですが)

特に驚いたのは、布団で寝ている人が枕として使っていたのがなんと500mlの水のペットボトルだったこと。これも後で学生に聞いたら「私のおじいちゃんもそうですよ。モンゴルでは普通ですよ〜」とのこと。写真はまだ夕方の院内風景です。

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3月28日

次の日朝からは普通の食事です。でも自分で取りに行かなければいけません。基本はスープと肉ごはん。朝8時には執刀医が病室に来てくれて様子をみてくれました。そしてその後女性の医師を先頭にゾロゾロ大勢の研修医やら医師やらがやってきました。名前は覚えてくれず「ヤーポン」」と言われるのみ。ガーゼ交換は10時だそうで、医務室に自ら行かなくてはなりません。注射は朝6時と夜10時。日本と違って「ブスッ」とお尻に思い切り突き刺します。また、薬はすべて自腹で院内で購入しなければなりません。日本の完全看護とは様子がだいぶ違います。

部屋は二人部屋ですが、隣に寝ているのは国際関係を学んでいる大学4年生の筋骨隆々の24歳の男の子。彼は火曜日に我々が病室に入った時、ちょうど手術が終わったところでした。英語が大変流暢なので、非常に助かりました。卒論締切が4月22日なのでもうあまり時間がないとか、卒論のテーマについてとか、お兄さんが一橋大学大学院を卒業しているとか、自分も政府関係の機関でインターンをしたとか、大学の先生の話などなど、話題がつきません。私は午前中に家に帰りましたが、その後お母様がお昼に食事を持ってこられたそうです。彼女は東京へも行かれたことがあると写真を見せてくださり、旦那もご相伴に預かりました。他人の親切はありがたいものです。夜カノジョが来る時はさすがに席を外していたようでしたが。

 

3月29日

学校の先生たちは昼と夜、彼にご飯を届けてくれます。私は期末試験をするため事前に準備していたテストを行いました。いつもできる子が声で皆に解答を伝えたりするので、モンゴル人の先生と二人体制で試験にのぞみました。今回初めて割と上手くいったかんじです。

一方同室の学生は、午後友人たちが手伝いに来て無事退院しました。私は放課後病院に連れて行ってもらい、彼の様子を確かめ、作ったお弁当を渡し、小雪舞う中、家の方に行きそうなバスを見当をつけて乗り込み、何とか家に自分で帰りつくことができました。

 

3月30日

朝5時にまた別の患者がいきなり入ってきたそうです。今度の方は英語もロシア語も全く通じず途方にくれていると、隣の部屋に11年間日本で暮らしていたという男性が現れ「何でも言ってください」というので、旦那はすぐに仲良くなったみたいです。彼も入院生活にだいぶ慣れてきたようで逞しいかぎり!?

 

入院生活のお陰で、迷路のような病院の中も大分詳しくなり、普段出会わない人々の生活や家族の様子などを垣間見たり、日本との看護・介護の仕方の違いに驚いたり、色々と勉強になります。さらに嬉しいことに今学期から地方に転任された日本人の先生が春休みということでウランバートルに来られ、早速見舞ってくださりました。夜は本当に久しぶりに日本語課の先生方や英語の先生たちと楽しく食事をしました。

春休みまであと一週間!妹が送ってくれた東京の桜の写真が目に眩しいです。

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ウランバートルの空に(17)

波乱万丈の誕生日

3月19日

右肩を骨折した旨を、中国時代の教え子数名にwechatで連絡。平日の午前中だったのにもかかわらず、すぐ電話してきてくれて気使ってくれる青年も。5月に結婚する別の男子は新婚旅行で日本へ行くとか。彼らの近況が聞けて、退屈な自宅静養にも少し気が晴れました。

10日から国費で日本へ研修旅行(東京・熊本)に行っていた12年生のDとも連絡がとれ、明日学校で会うことに。ところが、仕事を終えて帰宅した妻から大ショックなニュースが。

なんと日本語科の同僚の教師が辞めさせられてしまったとのこと。理由はいくつかあるようですが、はっきりとわからないまま全く解せないことで愕然としました。私も休職中な上に、さらに彼女がいなくなってしまって、日本語を教える教師はたったの4人。はて、どうなるものやら。

 

3月20日

私の誕生日。

朝起きてみると妻からの誕生日カードとプレゼントがありました。ありがたいことです。そして、この日は骨折して一週間ぶりに病院で検査を受ける日だったので登校。朝すぐ校長と教頭に挨拶をし、簡単に今の状態を報告しました。

同僚の日本人教師のS先生は私の担当クラスを引き継いでくださるとのことで、引き継ぎの話などをしました。そして、病院に行くまでぼーっとしていると急に11年生の女子が呼びに来て、行ってみると高級チョコレートの詰め合わせと誕生日カードをもらい、大喜び。

10時半過ぎに校長夫人に連れられて病院に出かけました。ところが、先週撮ったレントゲン写真を見た別の先生は即座に「日本に帰国してちゃんと治療した方がいい」と。校長夫人の判断で、別の病院でより詳しい検査を受けた方がいいとのことで、以前妻の行った私立病院に行きCTを撮りました。結果が出るまで2時間かかるとのことで学校に戻って待機。すると今度はまた別の女子から呼び出され、二人から素敵なネーム入りのTシャツをプレゼントされました。

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その後校長夫人に呼ばれてもう一度私立病院に出かけ、また別のCT写真を撮られ、写真を受け取って学校へ。校長夫人と妻と日本語科のモンゴル人の教師二人及び教頭、生活指導の先生は一斉に校長室へ(私抜き)行き、校長先生に経過報告して相談をしたそうです。その結果、やはり私は手術・入院が必要であろうということで、明日もう一度モンゴル人の先生方の人脈を通じて、病院トップの先生に診ていただくことになり、その判断を待って、今後の私の行方が決定されることとなりました。

一方、我々もよく知っている9年生女子が白血病で入院したと告げられ、大ショック。今日は病院に計3回も行き、気分のアップダウンの激しい誕生日となってしまいました。 ( A )

 

ウランバートルの空に(16)

山あり谷あり一週間

3月15日

放課後突然体育館に呼び出され、行くと真ん中のテーブルにピザの箱と大きなボウルにポテトサラダが。なんでも18日が男性の日だけど、月曜日にあたるため、今日金曜日にこの学校で働く男性たちをねぎらうのだとか。歌をうたったり、ピザを食べたり、小さいプレゼント(ネクタイ)をあげたり。「女性の日」に比べると簡素な印象でしたが、皆満足だったのかな?

 

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3月16日 

夫を家に置いて日本語教師研究会に参加。モンゴル日本青年交流支援センターで働くモンゴル人の先生の指導内容のお話と日本人の先生の発音指導について。留学経験のあるモンゴル人の先生はまだお若いのに志が高く、奨学金をもらって日本へ行く学生のお手伝いを長年しています。初めは課題の多い生徒たちが、だんだん日本式のルールやマナーを習得するようになる、しかも留学後1年でN1合格、中退者がほとんどいないという素晴らしい実績。もちろん逃亡者は一人もいません。先生と生徒の厚い信頼関係の賜物ですね。

発音指導の方は、たまたま2週間滞在でリサーチにこられていた若い日本人言語学研究者が最新のソフトを紹介しながら、専門的な発話のことを話してくださり、大変ためになりました。

でもこの会は、終わった後の食事会がさらに楽しく、思いきりレストラン内で大勢の日本人と普通のスピードで語らえる貴重な機会となっています。海外でも日本でも何度も骨折されたことのある超元気なこの会の最高齢の女性の先生もご自身の体験を話してくださり、日本人の優しさを感じました。

3月17日

教頭先生がお宅に招待してくださいました。

先週急に「日曜日お時間あったら我が家へどうぞ」と言われ、もしや何か注意されたりするのでは?と不安な気持ちも一瞬胸中をよぎったのですが、午前中に伺うと笑顔で歓待してくれました。

ジュース、紅茶、アルヒ(モンゴル産ウオッカ)で乾杯。料理上手な可愛らしい奥様(数学の先生ですが今は会計の仕事をしている)の手料理は素晴らしく、素敵なご家族と一緒にアルバムを見たりしながら、話がはずみました。

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彼は14年かけて教育哲学の博士号(「発展途上地域での教育について」)をとられたそうです。当時彼はカントリー・サイドにいたので、図書館がなく、大変ご苦労されたとか。相当の頑張り屋であると推察されました。

一方象が大好きで、60ほどのコレクションが所狭しと飾られていました。夫は子どもの時「象さん」と呼ばれていたので一同大笑い。帰りに可愛らしいお土産までいただき、しかも今日午後、郷里のお母様が病院検査のために飛行機でいらっしゃるというのに、ありがたいことでありました。

 

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山あり谷ありの一週間でしたが、先づは回復に向けて、養生!養生!