ウランバートルの空に(17)

波乱万丈の誕生日

3月19日

右肩を骨折した旨を、中国時代の教え子数名にwechatで連絡。平日の午前中だったのにもかかわらず、すぐ電話してきてくれて気使ってくれる青年も。5月に結婚する別の男子は新婚旅行で日本へ行くとか。彼らの近況が聞けて、退屈な自宅静養にも少し気が晴れました。

10日から国費で日本へ研修旅行(東京・熊本)に行っていた12年生のDとも連絡がとれ、明日学校で会うことに。ところが、仕事を終えて帰宅した妻から大ショックなニュースが。

なんと日本語科の同僚の教師が辞めさせられてしまったとのこと。理由はいくつかあるようですが、はっきりとわからないまま全く解せないことで愕然としました。私も休職中な上に、さらに彼女がいなくなってしまって、日本語を教える教師はたったの4人。はて、どうなるものやら。

 

3月20日

私の誕生日。

朝起きてみると妻からの誕生日カードとプレゼントがありました。ありがたいことです。そして、この日は骨折して一週間ぶりに病院で検査を受ける日だったので登校。朝すぐ校長と教頭に挨拶をし、簡単に今の状態を報告しました。

同僚の日本人教師のS先生は私の担当クラスを引き継いでくださるとのことで、引き継ぎの話などをしました。そして、病院に行くまでぼーっとしていると急に11年生の女子が呼びに来て、行ってみると高級チョコレートの詰め合わせと誕生日カードをもらい、大喜び。

10時半過ぎに校長夫人に連れられて病院に出かけました。ところが、先週撮ったレントゲン写真を見た別の先生は即座に「日本に帰国してちゃんと治療した方がいい」と。校長夫人の判断で、別の病院でより詳しい検査を受けた方がいいとのことで、以前妻の行った私立病院に行きCTを撮りました。結果が出るまで2時間かかるとのことで学校に戻って待機。すると今度はまた別の女子から呼び出され、二人から素敵なネーム入りのTシャツをプレゼントされました。

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その後校長夫人に呼ばれてもう一度私立病院に出かけ、また別のCT写真を撮られ、写真を受け取って学校へ。校長夫人と妻と日本語科のモンゴル人の教師二人及び教頭、生活指導の先生は一斉に校長室へ(私抜き)行き、校長先生に経過報告して相談をしたそうです。その結果、やはり私は手術・入院が必要であろうということで、明日もう一度モンゴル人の先生方の人脈を通じて、病院トップの先生に診ていただくことになり、その判断を待って、今後の私の行方が決定されることとなりました。

一方、我々もよく知っている9年生女子が白血病で入院したと告げられ、大ショック。今日は病院に計3回も行き、気分のアップダウンの激しい誕生日となってしまいました。 ( A )